2003 Arbeitsjournal

サボテン
Arbeitsjournal
2025年1月20日更新

2003年






1月25日 渋谷 青い部屋
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ
琴を使った演奏
歌を回していく方法
ブラームスのワルツの編曲

3月22日 博多 ペンタグラム

3月23日 福岡
「Contre-Attaque vol. 3」
ピアノ・ソロ

4月18日 松山ココクルン
「Copper」

Maher Shalal Hash Baz profile for “Copper”

今世紀に入ってからは、演奏会場の音をリアルタイムで変形させながら半初見演奏パフォーマンスのように見える演奏を行なっている。2001年3月東京のスターパインズ・カフェにおける流星群を模した楽器類とノイズを組み合わせた「ha星座」シリーズ、5月のLe Weekend Festival (Scotland)における「Blues de Jour」のシリーズ、最近では伊予漫才の「溝之辺騒動」等を演奏する一連の「地域学」シリーズ、琴と三線などを用いて奄美と中東の素材を組み合わせた「朝花節」のシリーズなどがある。

6月15日 下北沢 ERA
Tenniscoats

6月16日  無力無善寺
Bright Lights/グロキシニア

7月3日ー11日 アートランド
Exhibition「Kudo Tori’s Thrown」
3日 工藤冬里/グロキシニア
9日 Tokyo School/伊牟田×工藤×植野/Bright Lights
11日 工藤波夫/工藤礼子

7月12日 法政学館
「Running on Empty」
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ

演奏者と客と企画者の壁を乗り越える必要性もほんとうはありません。イデオロギーがその余生を生きているだけです。音楽を終わらせるというのも、かつてのジャズのたたかいの残滓に過ぎず、おくれてきた者が余韻に浸ろうとして弄している考えにすぎません。来るべきものの先取りの期待だけが価値であった時代も過ぎ去り、アングラの株価は暴落し、先物取引の魅力も薄れ、老人はモダーンの人たちとともに嘆息し、若者たちは敷地を狭めながら首を水面に出してやっと深さを知ることができるといった格好でネットのサロンのなかで立ち往生しています。

ステージにはギターとベース、(箱に入り)ヘッドフォンで連絡を取り合って演奏する。
ドラムはPAの隣、客席後方に設置。
天井からマイク(3本)を吊るし、その音をPCに送ってエフェクトをかける。

7月12日 渋谷 DeSeO
Puka Puka Brians

8月17日 小倉 ギャラリーsoap
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ

8月3日 松山 ギャラリー・リブアート
「私の大好きなカレータイム」
spice boys

9月11日 spaceland, L.A.
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ

レッド・クレイオラと対バンだった。リック・ポッツの家に泊まってずいぶん練習して臨んだ

CD
September 11, 2003, Spaceland, L.A.
--Maher goes to the city of the palm (2010, dds)

あやちゃんとまなみちゃん
まなみちゃん
去年の秋
去年の秋Ⅱ
去年の秋Ⅲ
去年の秋Ⅳ
stamp
ゆっくりした移動
花の茎
いちじくの枝を切り落とす季節
元気だった頃
疲れはじめた男
南予
ロイヤル・ストレート・フラッシュ
in a city under stress
かっぱなしなしゆーとですか
地平線、或いはチェニジアのケイタイ
北浦
貧血
海辺のカフカ
犬との散歩
1/8/02
仕事中の男の会話
仕事中の女の会話
3日目の朝
入道雲と雷雨・朝

loving
宮城道雄先生
1/03
I have mixed emotions hearing of the persecution of my brothers & sisters there.
秒読みのハメツ
9.11
高速バス・風邪・ファウスト
九四国フェリーのテーマ
和傘
バングラ
わたしは駐車場
末日記2002
マメ科のデザイン
long lasting entrances
swingする山鳩
秒速50mの風による宇都宮の家の倒壊
lightning
夢の中から無理に答えたら胸が失せ
博多の駐車場の紙の裏
まだ生きている
trees
4or8/03
何年も前
電位療法
留置場
永続する入り口
アーとaー
ハードな流れⅡ
蛇口から出る水の音
first love
パエリア
甘いⅠ
甘いⅡ
石庭
甘いⅢ
モリソネしまい
さいご
さびしい
西部
永遠の命と引き換えの
a will
faux depart
unknown happiness

euphonium: Hiroo Nakazaki
trumpet: Naoki Otani
drums: Saya Ueno
alto sax: Takashi Ueno
bass: Akiko Hotaka
guitar, keyboard, taisho-harp, vocal: Tori Kudo

帰りの飛行機が落ちればいいのにと思いながら機材を積んだトラックの荷台に揺られていた。視界の端にはいつも高いヤシの木の先端があった。不意にアイヴァースの胸に刺さる矢のように飛行機がヤシの木にぶつかった。アーと言えばaーと応える呼吸だった(その日も9.11だった)。それからずっと、命のパスワードは固定され、ロスの夜空に晒されたままだ。

9月12日 The Cube, Santa Cruz
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ

9月13日 The Ramp, Barkeley
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ

9月15日 Blackbird, Portland
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ

9月16日 Red House, Olympia
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ

9月17日 Center of Contemporary Art, Seattle
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ

9月18日 Million, Portland
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ

9月19日 Hemlock, San Francisco
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ

9月24日 高円寺 ペンギンハウス
金子寿徳×工藤冬里×トーマス・ミューラー

10月25日 法政学館
「マジキック祭り〜Majikick Outfits」

●今日のマジキック祭では「司会」でクレジットされていましたが、姿が見えなかったですね。パソコンで音声を出しているようでしたが。

工藤 ピーター・アイヴァースが司会をしてるケーブル・テレビを観たんですよ。クイーン・ビーっていう地元のバンドを紹介してて。で、最初にピーター・アイヴァースが歌うんですよ、ワンコードでシャウトしてて。そんなふうに最初はやりたかったんですけど、イギリスに行く前(この2日後)で楽譜を整理するのに頭がいっぱいで、あまり人のことを構う余裕がなかったんです。だから文字を音声化するソフトを使えば、僕も控え室で自由に時間を使えるし、いいなと思ってたんですけど、結局いたずらみたいでおもしろくてずっといましたけどね。

●演奏途中も入れてましたよね。今日のイベントはある意味、工藤さんの意思を継ぐような世代のひとたちが出てましたが、いかがでしたか?

工藤 意思かな? 彼らの“明るい”感じに影響を与えたのかもしれないですね。対比させると面白いと思うんですけど、向井(千恵)さんがよく法政大学でやってる「パースペクティブ・エモーション」というイベントがあるんですけど、ダンスとかパフォーマンスとか即興のひととかが今日と同じようなことをするんですけど、全然感じが違いますよね。植野くんたち(マジキック)はまっとうに演奏しようとするひとと邪魔するひとを組ませるとか、要するに暗くないですよね。僕はほんとうは暗いんですけど、そこはそんなに伝わらない(笑)。ひとを集めてやるときは、明るくする方法というか気持ちよくやる方法を考えるから。70年代のフリージャズでも2つに分かれたんですよ、バカ騒ぎするタイプと、シビアでストイックなタイプに。フリージャズの立場だと、どうも明るいほうが分が悪いというか、のちのちに残るのは明るくないほうじゃないですか、その場で盛り上がるのはまた別の話で。不思議ですよね。植野くんは「命がけでやってないのに暗い風なのがいちばん嫌いだ」って言うんですよ。暗いほうのひとはまた逆のことを言うんですよね。ぼくは向井さんのほうにも出るから、両方あるんですよね。

●そういう両方があるなかで、工藤さんが挑戦したい部分というのは?

工藤 明るい部分というのは大事で、たくさんバンドがあるなかで、最終的にはラブソングとか、ある種の希望を持った歌詞が聞かれるというか。僕もかつては希望をもっていた気がするんですけど、今はそれほどはないような気が……。余生を生きてるような感じで、あまりよくない状態なんですよ。

●今日は元気ないですよね、ほんとうに。

工藤 いかに音楽的にどうこう工夫しようとしても、自分のもとになっている安心感とか希望を手放しつつあるようなことがいっぱい起こるから。辛い時期ですよね。

●たとえばそれはどんなふうに影響が出てますか?

工藤 日本語の歌詞の曲をたくさん作ったんですよね。こんど出るのは1曲をのぞいて全部英語なんですけど、だからその時期と僕は、全然違うんですよ。こんど出るのは1年前の自分で。……ただ、ほんとうはその日本語の時代ももう自分のなかで終わってるんですけど。今は何をしていいか、わからない感じで……。だからつねに違いますよね、やっぱり。だからそれを今やってくれといわれたら難しいというか、出る時期が遅れると困りますよね。グラスゴーのひとたちはゆっくりしてるから、心情が変わらないんでしょうね。僕の場合はコロコロ変わっていて。

●ちなみにこの雑誌の付録CDに入る曲はどの時期の録音ですか?

工藤 今年の9月で、日本語の時期の最後です。“a will”というのは“遺書”という意味で、もうこれで……。すごく暗い歌なんです。死ぬひとが身辺整理をする歌なんですよね。

●もしかしてそれは自身のことを?

工藤 はい。でもアメリカから帰ってきちゃったから、おめおめと。だからその時代ももう終わっていて、また違うことをやろうと、もとにもどる努力をしているんです。 「ごめんなさい、ごめんなさい」って、ガセネタの山崎(春美)みたいに。

●ではすでに過去のものかもしれませんが、新作について。比較的素直な作りで、ポップな曲が並んでいますが、やりたかったことというと?

工藤 そんなに素直な状況で録音されたものではなくて、けっこう大変だったんですよ。スタジオで録音するって、若いころは実現したら夢のように嬉しいじゃないですか。だからどんなことがあろうと、音楽そのものをやっちゃいけないような重圧のなかでも、やっちゃうんですよ。それで昔のアルバムは暑苦しくなく、冷やっとした感触みたいのがあるんですよね。今回もその同じことをもういちどやろうとしてるんですよ。ただ、昔にくらべて作った期間が短いじゃないですか。昔のは10年以上作り溜めたものだったけど、こんどのは2年ぐらいのあいだで作ったものだから、感謝の念も薄れるじゃないですか、慣れると。だから昔みたいに曲を実現させたいという強力な意思みたいなもので引っ張っていく感じではなくて。そんななかで、みんな疲れてるから全員がそろって録音することができなかったり。起きていられるひとだけが演奏するから、ある曲なんかはバックコーラスがひとりとか(笑)。だから楽しそうにポップな曲をやってるように見えるけど、鬱病のひととか抱えて最悪の状況でやってて。「頼むから自殺者だけは出すな」とか言われながら、そういうのに負けそうになりながら録音してて(笑)。昔だったら曲ができる嬉しさがそれを上回っていたけど、今回はほとんどそれとイコールぐらいな感じで。だから曲自体の魅力とか自分の思い入れとか、昔のほうがあったかもしれない。昔だったら不可能なことも無理矢理してもらいたくて細かい楽譜を書くんですけど、いまはほとんどほかにもバンドをやってるひとたちに頼んでるからあきらめちゃってて。頼めないんですよね、深いとこまで。たとえばシャッグスが掛け持ちでやってるって想像できないじゃないですか。あるいはビートルズもソロはあっても掛け持ちでって感じはしないじゃないですか、ひとり抜けたら解散みたいなイメージがあるじゃないですか。でも植野くんが言うには、「最近はシャッグスも掛け持ちでやる時代なんですよ」って。たしかにティム・バーンズとかの動きを見てるとそんな時代なんですよね。動けるひとが牽引しているような。だから僕もそういう動きに巻き込まれて……別にそれでいいんですけど、ほんとうはメンバーみたいなひとがいるのが一番いいんですけどね。

●それは意外ですね。

工藤 “誰とでも”というのと裏返しなんですよ。メンバーがいないんだったら地球全体のひとをメンバーと考えるしかないっていう。メンバーが欲しいからそう言ってたって意味なんですよ、ほんとうはね。だから気持ちとしてはふつうのロックバンドをやりたいって気持ちと同じなんですよ。好きなひとが集まってバンドをやりたいっていうだけなんですよね。なんかでもね、音楽家のひとはメンバーにはなれないみたいですね。自分の音楽があるから、ひとから押しつけられてはできないんですよ。かといって音楽にまったく興味のない非音楽家だとバンドそのものができないんですよ。だから音楽は好きだけれどもひとからの楽譜によって自分を表現して何の疑問ももたないというか、それが嬉しいみたいなひとじゃないと。ずっと僕は、自分の分身がいっぱいいればラクだなと思ってたんだけど、結局はバンドのメンバーってことをいままでよくわかってなかったのかもしれない。だからライブハウスとかに“メンバー募集”とかするひとたちがずっと不思議だったんですけど、彼らが遅れてるとか無知だっていうんじゃなくて、僕のほうが利己的だったんじゃないかって。素直にひとと話し合って妥協しながら詰めていってふつうにバンドをやればいいのに、それができなくて自分のワンマンバンドみたいなことしか基本にもってないからそういうことになったんだろうな。ほかのひととふつうにバンドがやれるようになったらいいですよね。みんなそうやってるんですよね。それで大人だから別れたり辞めたりとかして動いてるでしょ? 僕は辞めるとかそういうのが理解できなかったんですよ。「バンドを辞めるってどういうこと?」って。でもやっと少しわかるようになってきて。ちょっとだけ大人になったのかもしれない(笑)。中3とか高3くらいのひとを見ると「先輩!」って思うもん(笑)。大学生とかになると「お兄さん」って心のなかで思ってるんですよ。ほんとうに子どもだったんですよね。

●新作のほうに戻りますが、前半は普遍的なポップスが並んでいますけれども、普遍的なポップスにたいして工藤さんはどのように自己表現しようとしているのか、教えてもらえますか?

工藤 最初のほうのはポップですよね。イギリスのひとたちと一緒に作るときって、日本より摩擦が少ないんですよ。彼らがふつうに感じてるスタンダードな感性に合わせてあげようかなってなっちゃうんですよ。日本だと突っ張るんですけど。“いい曲”だとか“きれいな曲”だとかって喜んでると、こっちも気持ちがおおらかになっちゃって、「あ、ふつうにやればいいんだ」みたいな(笑)。ただグラスゴーのひとは1音だけルートを弾かないとか、変な屈折があるからやっていけるんですけどね。そういうやり方に合わせたんじゃないかな。彼らのために録音したって感じですもんね。だから何年かのあいだに書いた曲がたくさんあるなかで、「いかにもポップな」というのから順に録音して。アルバムの曲順は録音した順番に並んでるんですけど、だんだん短い「例によって」って曲が増えてくるでしょ? あれは歌モノのポップな曲のストックが底をついたからで。だからあのまま行けば延々続けられるんですよ。僕は毎日でも曲を書いていたいから、曲はいっぱいあるから。でも、ザ・カーテンズとのスプリット盤を出したひとたちの場合はまたぜんぜん違うんですよ。このひとたちのときはこのCDでいう、逆の順番に録音していくような感じ。彼らもそっちのほうを好むし。けっこうなんだかんだいって、レコードを作ってくれるひとに合わせるから。

●それは工藤さんのなかに2つの軸があるということなんですかね?

工藤 ほとんどつながってるんですけどね。ただ短いやつは普通のポップな曲に組み入れられることもあるし、ほっとかれることもあるという感じですよね。だからケーキの層みたいに一緒になってますけどね。どっちも僕なんですよ。

●共通して、メロディが牧歌的で癒される感じですけれども、工藤さんが音楽を作るときに、そこに癒しを求めていることはありますか?

工藤 音楽を作る以前に、不安感とか嫌じゃないですか。だから求めてますね、平安な気持ちは。1曲目はツアー中に作ったんですけど、フェリーでアイルランドに行って港に1泊したんです。そこで朝日がきれいで、そのとき作った曲。だから僕の場合、旅の途中で作ったほうがいいみたいですね。素直な感じでそのまま録音できたから。だからずっと僕に旅をさせて作らせ続ければいいと思うんですけどね(笑)。このあいだアメリカに行ったときも毎日のように作ってその日に演奏するって感じでやってて。「この調子でずっといけるな」ってみんな帰りたくないって感じでしたね。だから“a will”は日本で暗い気持ちで作ったけど、アメリカで毎回やったんですよ。だから曲自体の楽しさのほうが上回っちゃって。いまはそういう男のひとのことを歌った歌っていう感じで捉えてますね。

●アルバムタイトルの『Blues Du Jour』はどんな意図で?

工藤 レストランに行くと“Soup Du Jour”(本日のスープ)というのがあるんですよ。その言い方をブルースに変えて、「今日のブルース」。「毎日その時に思いついた素材で演奏していくようなかたち」って意味です。ザ・カーテンズとのスプリット盤は、スターリンっていう街で不失者とシズカってバンドと一緒にコンサートをやったときのライヴを選んで入れたものなんですけど、そのときのライヴのタイトルが“Blues Du Jour”で。日本流通盤のなかにそのいわれが書かれているので、それを見ればわかると思います。だからやりたいことは“Blues Du Jour”なんですよ。だからほんとうはすべての曲はなし(笑)。その場で思いついたものをやるっていうのがいちばんの基本なんですけど、前半の曲は「やってあげた」って感じなんです。嫌いではないんですけど、放っておけば僕は“Blues Du Jour”のようなことをやる人間なんですよ。

●工藤さんのライフスタイルのなかでの音楽の位置づけについて。毎日曲を書き溜めているようですが……。

工藤 昔はみんなが音楽をあまりにも重要視しすぎてるってひとのことを批判してたんですけど、音楽は引き続き毎日のようにできてるんですよ。それを自分では選んだり捨てたり、ネガティブなのは出さないようにしてるし、がんばって。日本にいて仕事をしていると曲ができないことが多いけど……できるときはバーッとできて……みんなそうだろうけど。これだけバンドがたくさんあるなかでよく自分がこんなことをやってるなっていうのが不思議で不思議で。何かがあったからなんでしょうね、ある種の希望が。でもいま、僕にはそれがあるかどうかわからない。それに気付いたのかもしれない、最近。大事なものに気付いたというか。将来にずっと生きていけるという安心感みたいな、「このままいける」というものがないと聞かないんですよ、ひとって音楽を。「死ぬ」ってことをメインにしちゃうと、そのときはみんな泣いたり聞いたりするんだろうけど、最終的にはどうも……。とにかく「残っていくものがある」ってことを伝える要素がないとダメみたいで。それでいっぱいバンドがあるけど、希望とかはもってないんじゃないかな、基本的なところは。
(すみません、すごく重要な話なのに、ここで僕が話を遮ってしまったので、続きをお願いします。)

●ところでロックスター願望みたいなものはこれまでありましたか?

工藤 変な伴奏はいらなくて、ツーコードとかスリーコードでベースとドラムがジャカジャカやってくれたら、「僕ならどうにでもする」って思ってましたね。だからこういうポップなものもまだ好きでやるんですよ。でも「スター」っていうとやっぱりブライアン・フェリーとかデヴィッド・ボウイみたいなものをイメージしますよね、ああいうのにはなれないですよ。でも、言ってる本人の出す言葉が、ある意味詰まっていればそれでいいんですよ。題材は何でもいいんですよ。マイナーでも、その本人の中身がそのことにたいして詰まっていればいいんですよ。その「詰まってる」ってこと自体で音楽にある種の力が生まれる。だから「戦争反対」とか普遍的なことをべつに言わなくてもいいんですよ。それが自分の内面と隙間がないかってことだけやってけば。そういうボーカルのひとがやっぱり「聞かれる」んでしょうね。ラブソングとかを無理に作って歌わせる音楽って、やっぱり隙ができちゃうんですよね。たまにその隙を埋めるような力をもったボーカリストがいるからおもしろいんで、音楽ってそこらへんがからくりなんでしょうね。

●そこは工藤さんも自覚的だと。

工藤 うん、『メタル・マシーンズ・ミュージック』のライナーでルー・リードが「リアリティ、それが問題だ」って言ってたのをずっと守ってるんです。“Blues Du Jour”もそうですよね。そのときのリアリティ、それがあればどんな変な内容でもいいんです。

10月26日 新宿 裏窓「裏窓十人劇場」
工藤冬里

10月26日 無力無善寺
「日本ロックフェスティバル」
工藤冬里 (band)

10月30日 Glasgow Art School, Glasgow

11月1日 Cube Cinema, Bristol

11月3日 Brudenell Social, Leeds

11月4日 Arts Cafe, London

11月8日 Monorail, Glasgow
工藤冬里+工藤礼子

11月15日 松山市総合コミュニティセンターキャメリアホール
「Art Ring vol.6」
矢野正人×オーガフミヒロ×工藤冬里

11月21日 SuperDeluxe
tenniscoats

11月22日 渋谷 アップリンク・ファクトリー
「Instreams 8」
工藤冬里(band)
 
11月23日 アートランド
「11月の夜」
工藤冬里(band)/Yumbo

11月24日 裏窓

12月24日 裏窓

12月26日 法政学館
「Perspective Emotion #6」
工藤冬里

12月27日 SuperDeluxe
「本日のブルース」
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ

CD
‘Book of Life’, “various artists/Songs for Nao: 14 Bands From Japan” (cd:chapter music:CH46)



(終)


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