1978 Arbeitsjournal
Arbeitsjournal
2025年1月26日更新
1978
工藤冬里
1978年5月28日にS-KENスタジオがオープンする前にパンクは終わっていた。ラピスはフリクションを止めていたしExit B9のジーンは「海」で退潮期に入っていた。そういう訳で僕は福生のチッキンシャックの「東京ロッカーズ」のギグの帰りに同じ青梅線に乗った2人の女の子に「つまんねーなー」とバンド話を持ち掛けたのだった。2人共やるやると盛り上がったが、ひとりは西武線なので拝島で、もうひとりは国分寺で降りてしまったので話はそのままになっていた。宮川いづみの紹介で、蔦木兄の椎名町消しゴム画廊で7月9日にやらせてもらえることになったので、拝島で降りた方とブラックプールで知り合った角谷を誘った。これが自分名義の最初のコンサートだった。宮川いづみは壁に発振機を沢山付けて小さな音が鳴っている、というような展示だった。オルガンで「壁」という曲をやったが、僕にはまだ自分がなかった。
7月13日にマイナーで最初のコンサートを企画した。シルクで大きなポスターを作って、ほら貝とかブラックプールに貼ってもらった。木股さんが「銀河系」を映写してくれた。吉沢さんたちはひと回り上の世代らしくニコニコ笑いながら演奏していた。僕はサティを弾いた。
4月16日 吉祥寺 マイナー
Worst Noise(ジュネ、工藤冬里、大村礼子)
7月9日 椎名町 消しゴム
《求teenage vocal, dance》
工藤冬里、大村礼子、角谷美知夫
7月11日 下北沢 五番街
Worst Noise Dance to Death
7月13日 吉祥寺 マイナー
《Modern Pops Free Music ’78》
工藤冬里(エリック・サティ《Cold Pieces》)、Worst Noise Dance to Death(冬里・ジュネ)、佐藤隆史・三浦崇史リアルインプロヴィゼーション、Second Suicide、SEX、吉沢元治・板橋克郎duo、足立正生「銀河系」上映
7〜8月 六本木 S-KENスタジオ
《Blow Up 東京ロッカーズ》
Worst Noise Dance to Death
8月31日 吉祥寺 マイナー
《UNDERGROUND ROCK CENTER》
DEU、Worst Noise Dance to Death、automatic jene、突然段ボール、黒涯槍
DEUというのはDEVOが人気が出てきたからだと思うが、高木さんたちのEvolution Ensemble Unityのパロディだった。なんとかギターでひとりでやれるようにと、《ハートに火をつけて》みたいな出だしが延々と繰り返される、という曲を作った。『Goddamn』というファンジンの『マイナーロッカーズ詩集』に載っているが、全く“社会的”ではなく、watch とlook at とどう違うんだろうと悩んだ末両方使ったりしているのが可笑しい。
Watch the DNA
僕らは唯一の友達だった でも
僕が体育館の裏を逆に廻ったんで
僕のDNAがねじれてしまったのさ
Look at the DNA...
君は僕のことをよく分かってくれた
でも僕のDNAの中に黒い斑点があると云ったとき
君は離れていったのさ
Watch the DNA!
僕らはよく分かり合えた世界一の友達だった
僕のDNAのことも君は分かってた
でも もう 終わりなのさ
Look at the DNA!
etc
9月8日 吉祥寺 羅宇屋
《All Night Freak Anthology of Progressive and Free Music》
Worst Noise・Dance To Death(ジュネ、冬里、レイコ、佐藤隆史、松下)、新月(花本彰、津田治彦、喜山豊、鈴木清生、高橋裁、北山真)、GAP(佐野清彦、多田正美、曽我傑)、Interface(梅木、NOUSO)、Hypochondria Quartet(園田佐登志、向井千恵、清水一登、小沢靖)、Vibration Society(三浦崇史、灰野敬二)、ビビンバ(水野切人、高橋信一、山内仁志、がもうみつし)、Factory(大木公一、ベンソン・富塚、川本きの、佐藤隆史)、灰野・小沢Duo(灰野敬二、小沢靖)、ガセネタの荒野(浜野純、大里俊晴、山崎春美)
この頃はジュネのコルグのMS10というシンセを適当に使っていたのではないかと思う。
僕は《エフェドリン》という曲を提供した記憶がある。
9月23日 吉祥寺 羅宇屋
Worst Noise Dance to Death
9月24日 新宿 ライヒ館モレノ
《パンク・ニューウェーブ 日本の場合》仲田修子企画
Worst Noise Dance to Death、ヒカシュー、8½、Plastics
この頃高円寺のNONの部屋に行き、ベースに勧誘した記憶がある。
あと、吉祥寺駅構内のカレー屋でバイトしていた女の人を見て直観的にドラムに勧誘したらボーイズ・ボーイズのドラムだったという記憶がある。
その後S-KENスタジオでマースとかをいち早く紹介していたファンジン『ロッキン・ドール』を通して知っていたさちほさんと初めて会ったり、ボーイズ・ボーイズの人たちとは縁があって、ニューヨークでも泊めてもらったりした。
『ロックマガジン』10月号に間章の文章が載る。
10月1日 吉祥寺 マイナー
《FACTORY ♯1 Performance with bow instruments》
向井千恵、河本きの、工藤冬里
初めて即興でヴァイオリンを弾いたら三浦さんに褒められたのを憶えている。
10月22日 六本木 S-KENスタジオ
Worst Noise Dance to Death、ほか
この頃もうジュネは抜けて、いなかったんじゃないかと思う。
10月28日 吉祥寺 マイナー
《minor free sounds workshop #1》
PART1〈マイナー・ワークショップ・オーケストラ タイムによってコントロールされるフリーインプロビゼーション〉(Dir. 三浦崇史)三浦崇史、本間隆一、小宮一雄、白沢悦郎、佐藤隆史、河本きの、工藤冬里、大木公一
PART2〈持続音と繰り返しによる音楽の再検討〉(Dir. 佐藤)佐藤隆史、大木公一、河本きの、白石民夫、工藤冬里
11月 “No New York” 発売。
11月 『ロック・マガジン』の11月号に間章のロートレアモンとマーク・ボランに関する文章が載る。
11月4日 明大駿台祭 明大1号館中庭ステージ
《Free Music Space》
Worst Noise Dance to Death
11月11日 吉祥寺 マイナー
《FACTORY #2》
向井千恵、内藤義孝、佐藤隆史、河本きの、大木公一、コー from The SEX、竹田賢一、工藤冬里・レーコ from The Worst Noise Dance To Death、鈴木リョウコ、タッチ・ミー
12月17日 吉祥寺 マイナー
《EVENT=ACCIDENT 7711 “OFF”》
大村礼子、工藤冬里、吉原潤、大里俊晴
12月23日 新宿 ライヒ館モレノ
《パンク・ニューウェーブ 日本の場合》
Worst Noise Dance to Death
12月30日 吉祥寺 マイナー
《free sounds workshop vol. 3》
三浦崇史(reeds)、秋葉裕子(key)、桜沢友里(key)、佐藤隆史(key, per)、吉原潤(per)、西口参平(as)、藤井雅英(dr)、祝修平(bs)、大里俊晴(g, b, vo)、清水一登(key, cl)、河本きの(b)、工藤冬里(eg)、白石民夫(syn)
12月 『ロック・マガジン』の12月号に間章の「Out to Lunch」が載る。
(終)
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